はじめに
当記事の中には、現在運営されているストリーミングサービスの具体名がいくつか挙がりますが、私個人はいかなるサービスも贔屓または卑下する意図は無く、また、「死」「自殺」という概念をどのように捉えるかは、個々人によって全く異なる事を前提としています。
いつか必ず起こるネット生配信自殺
ニコニコ生放送・Stickam・Livetubeなどで盛り上がりつつある個人生放送の動画配信サービスですが、いつか必ず、自殺する様子を生配信する放送者が現れることでしょう。
これは予言でも、過激な言葉を意図的に使っているわけでもなく、残酷な言い様ですが車社会の中で日々交通事故が発生するように、当然の帰結としていつか必ず発生するという意味です。そして、交通事故を防止するために車の所有を禁止することが不可能であるように、ネット生配信自殺を防止する手立ては、現在のところ存在しないのです。
可能性の話としては、どんな事でも「あり得る」と言うことが出来てしまいます。例えば、NHK夜7時のニュース生放送中に、アナウンサーが隠し持った拳銃で頭を撃ち抜いて自殺するかもしれません。これは可能性としては「あり得る」話です。しかし、とても低い可能性です。
組織である公共/営利のテレビ局では、生放送で自殺するかもしれない精神状態になっているアナウンサーが継続して仕事を続けること自体が難しく、それよりも前の段階で、何らかの処置が採られることでしょう。また、放送中に突然拳銃を取り出して自殺しようとしても、制止による未遂や、画面が「しばらくお待ちください」などに切り替えられ、自殺を既遂したとしても、画面には映らないことが考えられます。
そのような可能性と、個人放送でネット生配信自殺が行われる可能性を比較した場合、どちらの可能性が高いのかは明らかです。
瞬間的に打ち切ることが不可能な個人ネット生配信
既にかなり以前から孤独な状況にあり、悪くなる精神状態をケアしてくれる人も存在しない個人がいたとしましょう。何らかの経緯を経て、自殺する様子をネット生配信で流すことを決断したとします。
人気の動画配信サービスを利用し、Webカメラで映像と音声を流す放送を開始しました。視聴者が数人居る事を確認したところで「私はこれから死にます。」と言い、ほんの数秒後には自殺を決行してしまいました。
このような状況で動画配信を瞬間的に打ち切ることは、現在のところ事実上不可能です。例えば、現在ニコニコ生放送では放送枠が1500あります。個人放送の番組が1500同時に配信できるという意味での放送枠です。一倍速再生でしか知覚することのできない1500もの個人生放送を1つ1つ、放送開始直後から管理者が監視するには一体どれくらいの人員が必要でしょう?
また、ニコニコ生放送には「通報機能」も存在しますが、例えば、視聴者数が数十〜数百人の放送でたくさんの通報があれば管理者も早く気付くことができるでしょう。しかし、視聴者数人の放送では通報の数も必然的に少なくなり、22時〜01時のピーク時間帯で1500もの放送が行われている状態では気付くのが遅れることでしょう。
結果、自殺直前に映像を打ち切ることは不可能で、さらにその後、数分以上その後の状態を流し続けることになります。
完全停止以外の完全な対策方法は存在しない
・放送数を完全に監視できるだけの管理人員を動員する。
(非効率極まりなく事実上不可能)
・放送に長いタイムラグを設ける
(タイムラグを長くしてもチェック効率の悪さは上記と同じ)
・視聴者の50%以上などの通報数があれば即時停止
(視聴者が必ずしも通報するとは限らない)
以上のような対策は事実上意味がありません。全ての動画生配信サービスが放送枠などを大幅に減らし、人員を増やして管理体制を強化すれば話は別ですが、企業のサービスだけでなく、Windows Media エンコーダを使った自宅サーバー配信などではさらにどうしようもありません。
結局、映像生配信だけでなく、音声だけのネットラジオも含めて、「ネット生配信自殺」を防止する手立ては今のところ存在しないのです。
だからといって、どうかお間違いいただきたくないのは、「いつか必ずネット生配信自殺が発生する!だから今のうちに全ての動画配信のサービス・方法に規制をかけておくべきだ!」と主張しているのでは絶対にないという事です。
残酷な話かも知れませんが、日本の現状を考えれば、ネット生配信自殺は長い目で見れば今後いずれかのサービスで必ず発生するものであり、海外では既に発生しています。
だからといって、「インターネットだから悪い」といった論法で的外れの批判をされるのは間違っているのです。これは包丁とダガーナイフのような関係で、今のところ個人での動画生配信はダガーナイフ的存在であるということです。
数年前に発生した犯罪で使用されたとされる「ダガーナイフ」は法律で規制されましたが、ダガーナイフも包丁も同じ刃物です。犯罪に使われる道具としては圧倒的に包丁の方が多いのですが、その特異性故にダガーナイフは規制され、一般的な多くの人はそれでも日常生活に支障は無いので困ることはありません。
自殺に包丁を使ったという理由で包丁が規制されることは今後もありませんが、包丁で自殺した人間がその様子をネット生配信していたら、ネット生配信に規制をかけろ!と騒がれることでしょう。
しかし、繰り返しになりますが、それは的外れな批判なのです。包丁は食材の調理をする目的の刃物であり、人間を刺すため刃物ではありません。しかし、実際にどのように使われるかは包丁を手にする人間の心次第です。ネット生配信も包丁もダガーナイフも、人間にとっては道具の一つに過ぎません。しかし、認知度や必要性という意味で、やはり社会的には現時点でダガーナイフに近い存在であるネット生配信では、なんらかの事件が発生した際に「規制!」という声が上がるのはやむを得ない事でもあります。
それではどうすればよいか?
当たり前のことですが、個人放送のネット生配信サービスには、配信内容に対する規制は事実上存在しません。利用規約に陰部を露出してはいけないと明記されていても、個人の判断で露出してしまえばそれまでのことであり、ましてや、自殺を意図した人間であればなおさら利用規約などを気に留めることは無いでしょう。
これは包丁でも同じです。包丁で人を刺してはいけない事は誰でも知っています。しかし、実際どのように使われるかは誰にも予測できません。人を刺してはいけない包丁でも、刺してしまえばそれまでです。
人間のあらゆる行動は、考えや心の中の思いから発生するものである以上、今後も包丁を使った殺傷事件は発生し続け、いつか必ずネット生配信自殺、または、他殺事件が発生します。
しかし、いずれ必ず起こるからといって、起こらないようにする努力は無駄ではないと思うのです。
個人が、主に自分の心(モラル)によって行動を規制する以外に無いネット生配信では、何が起こるかはわかりませんし、その行動を瞬時に制止することはできません。
しかし、人間の行動は心によって決められるということをわれわれは知っているのですから、もし「死にたい」「自殺したい」といった言葉が放送者から聞こえてきたときには、「死ね」とは言わず、時間と心に余裕のある範囲で、励ましの言葉を掛けてあげることが、最善であり、それ以外には無いように思うのです。
それは、前述の実際に発生した海外での事件についての記事をご覧いただければ参考になるように思います。
全体から見ればマイナーであり、利用者も多いとはいえない個人ネット生配信の各種サービスですが、99%以上の放送は基本的に自分以外の他者との楽しいコミュニケーションを目的とするものであり、時には孤独な人間の心を癒し、楽しませ、笑い、笑わせているものであり、もし特異な事例が発生したとしても、本来は通常のモラルを備えた善良な人々が利用しているネットサービスであることを、もちろん「ネット生配信自殺」などという悲しい出来事は絶対に起きてはいけませんが、やや悲観的に考え、起こる前に、言っておきたいと思います。
2009年10月20日
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ttp://news.livedoor.com/article/detail/4468430/
昨日からひと通りの情報は目にしていました。
ブログの記事は「危惧」というよりは、大変冷酷な言い様ですが、「いつか必ず起こってしまいますけど、当たり前の事が当たり前に起こってしまうだけですから、どうか変に騒がないようにしてくださいね。」という思いが大半です。
当たり前ですが、今回の事案に対する感想は人それぞれ千差万別です。しかし、おそらく確かだと思われるのは多くの人がネガティブな感情を持ったということでしょう。
私はネット配信サービスというものに対して責任を負うことができる立場にいるわけではありませんし、発言力も影響力もありません。よって、ここで論評をしたところで、ほとんど無意味と言っても良いでしょう。
だからといって何もしないというのは非人間的であり、真心があるとはいえませんので、今回の事案を忘れることなく、もし私が直接視聴しているネット配信で同様の事態が発生しそうな場面に居合わせるようなことがあったとしたら、書き込みなどで放送者を諌め、似たような多くの人にネガティブな感情を持たせる悲しい事案とならないように、何らかの努力をしたいと思います。
「一人一人がモラルを守って・・・」という言葉はよく使われますが、誰にも非難されない形で文章を適当に決着させる便利な〆の言葉として使っているだけでは意味が有りません。
少なくとも私は、「一人一人」の中には私自身も含まれていて、自分が知覚できる範囲においては、真心と優しさを持って他者に接するのが、より良い生き方であるという個人的価値観に基き、これからの行動をする際の教訓として、今回の事案を捉え、自分自身のこれからに活かしたいと思っています。
少年が自殺をネットで生中継:読者コメント欄から見る世相 | WIRED VISION http://wiredvision.jp/news/200811/2008112520.html
ブログ記事の中にすでにリンクを付けていますが、それについてツッコミを入れるほど真心の無い人間ではありませんので触れないようにしたいとおもいます(^p^)